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武市半平太

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たけちはんぺいた
文政12年9月27日 – 慶応元年閏5月11日
日本の武士・土佐藩郷士。土佐勤王党の盟主。

文久元年(1861年)、一藩勤皇を掲げて坂本龍馬、吉村寅太郎、中岡慎太郎らの同士を集めて、江戸にて土佐勤王党を結成

※写真は高知県須崎市にある武市半平太像

土佐国吹井村(現在の高知県高知市仁井田)に生まれる。武市家はもともと土地の豪農であったが瑞山より5代前の半右衛門が享保11年(1726年)に郷士に取り立てられた家である。文政5年(1822年)には白札に昇格した。「白札」とは身分としては郷士だが、当主は上士に準ずるといったあつかいである。

嘉永2年(1849年)、城下の新町で剣術道場を開く。なお、この道場の門下には中岡慎太郎、岡田以蔵等もおり、後の土佐勤王党の母体となる。安政3年(1856年)、江戸へ出て鏡心明智流の桃井春蔵に学び、塾頭となる。江戸では桂小五郎、久坂玄瑞、高杉晋作など尊皇攘夷派の長州藩士とも交流する。

文久元年(1861年)、一藩勤皇を掲げて坂本龍馬、吉村寅太郎、中岡慎太郎らの同士を集めて、江戸にて土佐勤王党を結成、2年後には192名が連判に参加。

文久2年(1862年)には、藩主山内豊範への進言を退けた土佐藩参政で開国・公武合体派の吉田東洋暗殺を指令。暗殺後、東洋派重臣を藩人事刷新のクーデターにより、要職から追放し、新たに要職に就いた守旧派を傀儡として藩政の実権を掌握。藩主山内豊範を奉じて京に進出する。上洛後は藩の他藩応接役として、他藩の志士たちと関わる一方で、幕府に対して攘夷実行を命じる勅使を江戸に派遣するための朝廷工作に奔走する。

これらの動きが功を奏し、朝廷が攘夷の朝議を決した際、一橋慶喜がこれをくつがえそうと入京を画策したが、武市は、裏工作により、これを一時妨害することに成功した。京では数々の佐幕派暗殺に関与し、天誅、斬奸と称して、刺客を放ち、政敵を暗殺させた(武市の下で動いた人物では、岡田以蔵、薩摩藩の田中新兵衛が有名)。同年秋には朝廷から幕府に対して攘夷催促する勅使の江戸東下に、副使姉小路公知の雑掌となり、柳川左門という変名で江戸に随行した。文久3 年(1863年)1月、白札から上士格留守居組に出世。さらに3月には京都留守居加役となる。だが、これは過激な土佐勤王党を懐柔するための、山内容堂の策謀であったとも考えられる。

文久3年8月18日(1863年9月30日)に会津藩と薩摩藩が結託したクーデターである八月十八日の政変で長州藩が中央政界で失脚すると同時に、事態は一転し、勤王派は急速に衰退し、代わって公武合体派が主導権を握る。土佐藩においても、公武合体派の前藩主で老公と呼ばれた山内容堂の影響力が再び増すこととなる。瑞山は同年4月に、薩長和解調停案の決裁を山内容堂に仰ぐために帰国していたが、6月、捕縛されていた側近の平井収二郎、間崎哲馬、弘瀬健太が青蓮院宮の令旨を盾に藩政改革を断行しようとしたことを理由に切腹を命じられ、自身も政変後まもない9月に逮捕、投獄。他の勤王党同志も次々と捕縛される。一年半の獄中闘争のなか、まだ捕まっていない同志を思い、吉田東洋暗殺も否定し続けたという。
だが、後に捕縛された岡田以蔵の自白により瑞山の罪状はおおむね決定したが(岡田以蔵が自白する前に毒殺しようとしたが失敗。これに以蔵が怒り暴露した)、それでも東洋暗殺を否定し、老公・容堂に慶応元年閏5月11日(1865年7月3日)、「君主に対する不敬行為」という罪目で切腹を命ぜられる。享年36。未だ誰も為し得なかった三文字の切腹を成し遂げて、武士の気概を見せたと伝わる。武市家の家禄は召し上げとなった。

辞世の歌は、
ふたゝひと 返らぬ歳を はかなくも 今は惜しまぬ 身となりにけり
維新後、山内容堂は武市を殺してしまったことを何度も悔いていたという

『龍馬伝』キャスト大森南朋

関連ページ⇒武市半平太邸と墓
⇒武市半平太殉節地
⇒武市半平太道場跡

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