近藤長次郎

こんどうちょうじろう
天保9年3月7日 – 慶応2年1月14日
1838年4月1日 – 1866年2月28日

高知城下の饅頭屋「大里屋」の長男として生まれた。
幼少時より学問を好み、秀才と評判であった。
亀山社中の結成に参画。その後は交渉役として大いに活躍した。
はじめは名字がなかったが、その才を認められ名字帯刀を許可された。

天保9年3月7日、高知城下の饅頭屋「大里屋」の長男として生まれた。周りからは饅頭屋長次郎とも呼ばれた。
幼少時より学問を好んだ。秀才として評判であった。河田小龍や岩崎弥太郎のもとで学んだ。後に江戸に遊学し、儒学や砲術を学ぶ。
文久2年(1862年)に龍馬と同様に勝海舟の門下に。神戸海軍操練所の設立時から参加。文久3年(1863年)に結婚。
神戸海軍操練所閉鎖後は、龍馬と共に亀山社中に参画。船や武器の購入の交渉役などとして大いに活躍をした。

長州藩のためにユニオン号を購入。その成功報酬として得た謝礼金を、長次郎はイギリス留学のために使おうとした。商人グラバーの船でイギリスへ出航予定だったが、天候不良のため延期された。そのため、長次郎のイギリス留学の計画が社中の仲間に発覚。
実は長次郎は社中には内密でこの計画を進めていた。この行いは社中の規則に反するものだったため、罪に問われ切腹となった。
長次郎と仲のよかった龍馬はその死を悼んだ。

現在の高知市上町2丁目に近藤長次郎邸跡の碑があります。⇒詳しくはこちらから

『龍馬伝』キャスト大泉洋