船中八策

江戸時代後期、龍馬が起草したとされる新国家体制の基本方針。
龍馬は、前土佐藩主である山内容堂に大政奉還論を進言するため、長崎から兵庫へ向かう船の上で後藤象二郎にこの案を提示した。それを海援隊士・長岡謙吉が書きとめ、のちに成文化したものが「船中八策」とされている。

ただし、原文書や写本といったものが現存しておらず、詳細な成立過程を証明する資料もないため、龍馬が作成に係わっていない可能性があることも指摘されている。また、元々のオリジナルは上田藩士で軍学者でもある赤松小三郎の構想だとも言われている。

原文

一策 天下ノ政権ヲ朝廷ニ奉還セシメ、政令宜シク朝廷ヨリ出ヅベキ事
二策 上下議政局ヲ設ケ、議員ヲ置キテ万機ヲ参賛セシメ、万機宜シク公議ニ決スベキ事
三策 有材ノ公卿諸侯及天下ノ人材ヲ顧問ニ備ヘ、官爵ヲ賜ヒ、宜シク従来有名無実ノ、官ヲ除クベキ事
四策 外国ノ交際広ク公議ヲ採リ、新ニ至当ノ規約ヲ立ツベキ事
五策 古来ノ律令ヲ折衷シ、新ニ無窮ノ大典ヲ撰定スベキ事
六策 海軍宜シク拡張スベキ事
七策 御親兵ヲ置キ、帝都ヲ守護セシムベキ事
八策 金銀物貨宜シク外国ト平均ノ法ヲ設クベキ事

土佐藩が公武合体から非佐幕へと政治姿勢を転換した背景には、時代が薩長同盟により倒幕へと傾いていき、薩長に遅れをとったことへの焦りがあった。
幕府存続かつ土佐藩の地位の確保できる道はないかと模索していたところに出てきたのが船中八策だった。
そして、後藤象二郎から前土佐藩主・山内容堂へ「船中八策」が進言され、容堂は徳川慶喜に大政奉還を建白した。

関連項目■五箇条の御誓文
また明治元年、福井藩出身の参与であった由利公正により起案された五箇条の御誓文のもととなった『議事之体大意五箇条』には船中八策と似ている部分が多い。

・五箇条の御誓文とは
五箇条の御誓文は、明治元年3月14日に明治天皇が公卿や諸侯などに明示した明治政府の基本方針のこと。
起案したのは由利公正で、東久世通禧を通して岩倉具視へ提出された。

・五箇条の御誓文の内容
一 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ
一 上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ
一 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス
一 旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
一 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ

関連資料■龍馬が後藤象二郎に送った直筆の手紙
大政奉還建白書の採否をめぐり、坂本龍馬が後藤象二郎を激励した1867(慶応3)年10月13日付の有名な手紙の草案が2010年6月15日までに確認されています。
この資料は全く知られていなかった新資料。筆跡・紙質から県立坂本龍馬記念館が「龍馬の筆に間違いない」と判断しています。
この草案は所有者から寄贈され、県立坂本龍馬記念館で企画展示されています。
 ・企画展【薩長同盟を陰で支えた男たち】展
  開催期間:2010年7月17日(土)~10月8日(金)