江戸幕府

幕末の江戸幕府についてのキーワード一覧

幕末(ばくまつ)江戸幕府の末期のことをいいます。一般的には、1853年の黒船来航から1869年の戊辰戦争までにあたります。
幕末と呼ばれるのは江戸幕府の末期のみで、鎌倉幕府と室町幕府の末期は幕末とはいいません。

幕末の将軍第12代・徳川家慶(とくがわいえよし) – 第13代・徳川家定(とくがわいえさだ) – 第14代・徳川家茂(とくがわいえもち) – 第15代・徳川慶喜(とくがわよしのぶ)

大老(たいろう)将軍の補佐役として、臨時に老中の上に置かれることがある。定員は1名。

老中(ろうぢゅう)将軍に次ぐ地位にある職である。朝廷や公家、大名などに関する事項、知行配当などを取り纏めた。定員は4~5名。

鎖国(さこく)江戸幕府は、人々に海外渡航を禁止し、交易を制限していました。この外交政策を「鎖国」といいました。
鎖国といっても、外交・交易が幕府によって制限・管理されていただけで、完全に諸国とのやりとりが絶たれていたわけではありません。
民間では貿易は禁止されていましたが、幕府の管理下で長崎ではオランダや中国と、対馬は朝鮮、薩摩は琉球、松前藩はアイヌとの交易が行われました。

別段風説書(べつだんふうせつがき)江戸幕府は、海外情報をまとめた「オランダ風説書」というものを長崎で交易をしていたオランダから得ていた。
この「オランダ風説書」は長崎奉行を通し、幕府老中へと送られていた。
1842年、オランダはこの定期的な風説書とは別にアヘン戦争に関する別段報告書を提出。この時より定期的な報告書と共に提出される詳細報告書を別段報告書と呼ぶようになった。
また、ペリー来航は嘉永5年(1852年)の別段報告書によって1年前から幕府は把握していました。

通行手形(つうこうてがた)江戸時代、旅をするときに必要な許可証。現代でいうところの、パスポートや身分証明書といったもの。
江戸時代には各地に関所や口留番所が設置されており、人の行き来は厳しい制限を受けていた。
旅をする場合、普通は相当の理由がなければ許可されなかったが、お伊勢参りに限ってはほぼ制約なしに認められていた。
他にも有名な寺社への参詣の旅もだいたい認められていた。
通行手形発行の申請先は、武士は藩庁、庶民は居住する町・村の役人または菩提寺。

藩庁(はんちょう)江戸時代の政治用語のひとつ。
幕藩体制下、藩の役所が置かれた。藩主や藩士が政務を行った。