澤村惣之丞

さわむらそうのじょう
天保14年 – 慶応4年1月25日

1843年 – 1868年2月18日

幕末の土佐の人物。
別名に沢村延世・前河内愛之助・関雄之助など

文久ニ年(1862年)に吉村寅太郎と共に土佐藩を脱藩。武市半平太への現状報告のため一時帰国するが、その後坂本龍馬らと再び脱藩した。


高知潮江村地下浪人の村に生まれる。間崎哲馬に師事し、学問を学び、その後土佐勤王党に加入。文久ニ年(1862年)に吉村寅太郎と共に土佐藩を脱藩。武市半平太への現状報告のため一時帰国するが、その後坂本龍馬らと再び脱藩した。

勝海舟勝海舟の神戸海軍塾に学び、亀山社中に加わって、坂本龍馬の片腕となって活躍した。慶応四年一月十四日、鳥羽伏見の戦いで幕府軍の敗北の報に接した長崎奉行・河津伊豆守は、奉行所を西役所から立山役所に移転するとの口実を設けて、ロシア船籍のアトリン号に乗船し、急遽長崎を退去した。

同日夜、こうした状況を察知した佐々木高行は、在崎の海援隊士を率いて長崎奉行所を占拠して市中の治安維持に当たった。その際澤村惣之丞は、酒を帯びた暴漢を射殺したが、後にこれが友好関係にあった薩摩藩士・川端平助だったことが判明し、「この大事のときに薩摩と土佐の間に溝を生じてはならない」と、従容として慶応四年(1868年)自決した。

『龍馬伝』キャスト要潤