2010年11月15日(月)に高知市の中央公園で第15回坂本龍馬生誕祭が開催されます。
総勢1,200名によるよさこい鳴子踊りの披露や大バースデーケーキの点火式などのイベントが催されます。
■開催日時
2010年11月15日(月) 18:30~21:30
■開催場所
高知市中央公園
■お問い合せ先
龍馬生誕祭普及振興会
TEL:088-872-5976
■交通手段
土佐電気鉄道はりまや橋電停より徒歩1分
2010年11月15日(月)に高知市の中央公園で第15回坂本龍馬生誕祭が開催されます。
総勢1,200名によるよさこい鳴子踊りの披露や大バースデーケーキの点火式などのイベントが催されます。
■開催日時
2010年11月15日(月) 18:30~21:30
■開催場所
高知市中央公園
■お問い合せ先
龍馬生誕祭普及振興会
TEL:088-872-5976
■交通手段
土佐電気鉄道はりまや橋電停より徒歩1分
坂本龍馬が20代前半、2回目の剣術修行で江戸を訪れた1856(安政3)年9月、土佐の相良屋源之助に餞別(せんべつ)のお礼などをしたためた手紙の原本が、28日までに京都市の個人宅で確認されました。
高知県立坂本龍馬記念館(高知市)などによると、手紙の文面は大正時代に出版された史料集や歴史小説に活字で掲載され、内容は知られていたが、原本は行方不明となっていた。
縦14センチ、横28センチの1枚紙に書かれた手紙は、寒さが増す中、相手の健康を気遣うなど、時候のあいさつから始まり、江戸の築地屋敷に無事到着したことを報告。餞別にもらった「見事成御送物」の礼が遅れたことをわびている。
龍馬は多くの手紙を残しているが、若いころのものは珍しく、同記念館の三浦夏樹主任学芸員は「多く残っている脱藩後の手紙は、軽妙で自由な文体だが、この手紙は文面や書体に硬さが残り非常に初々しい」と話している。
7月21日より坂本龍馬をあしらった高知県の地方自治施行60周年記念5百円貨幣の引換が開始されました。
県内の各施設と取り扱い金融機関で引換ができます。
坂本龍馬の婚約者で知られる“千葉さな”は今まで生涯独身を貫いたとされてきましたが、龍馬の暗殺後、元鳥取藩士と結婚していたとする明治時代の新聞記事が、3日までに見つかりました。旧鳥取藩士の文書から藩士の実在が確認されるなど、発見した歴史研究家あさくらゆうさんは「記事はかなり正確」としている。
さなは「北辰一刀流」を開いた千葉周作の弟、定吉の娘で、江戸の剣術修行で千葉一門に入門した龍馬は、さなと知り合い婚約したとされています。
千葉道場に関してはこちらのページをご覧ください。
記事は、明治3年(18741年)に横浜で創刊された毎日新聞(現在の毎日新聞とは無関係)が1903年8~11月に連載した「千葉の名灸(きゅう)」。さなが晩年、千住(東京都足立区)で営んだきゅう治院の来歴などを描く内容で、さなの親族に取材して書かれた。10月4~5日の記事によると、明治6年に横浜に移り住んださなが、定吉が剣術師範役を務めていた鳥取藩の元藩士山口菊次郎から求婚され、竜馬の七回忌も済んだことから受諾した。
しかし家格の低さもあり定吉が反対。「おまえの命はかつて龍馬の霊前にささげようとしたものではなかったのか」などと怒って、さなを切ろうとしたため、近くの商家が仲裁に入り、翌年7月に結婚。
菊次郎の身持ちの悪さなどから、10年たたず離縁、千住に移り住み亡くなるまで再婚しなかった。
あさくらさんは鳥取藩主の伝記などから菊次郎の名前や当時、横浜在住だったことを割り出し、横浜市史の関連文書から商家の存在を確認。さなの横浜時代の戸籍などは関東大震災や戦災で焼失している。さなの関係資料を所蔵する足立区立郷土博物館の学芸員多田文夫さんは「非常に貴重な記事だ。しっかりした取材に基づいて書かれ、登場人物の実在も確認されており、信ぴょう性が高い」と話している。
記事を見つけ、分析したあさくらゆうさんは「結婚暦があろうが、さなが龍馬を愛していた事実は変わらない。だからこそ、晩年は龍馬のいいなずけと自ら語り続けたのだろう」と話している。
大政奉還建白書の採否をめぐり、坂本龍馬が後藤象二郎を激励した1867(慶応3)年10月13日付の有名な手紙の草案が5月15日までに確認された。
龍馬の直筆の書簡類は140通伝わっているが、今回確認されたのは全く知られていなかった新資料。筆跡・紙質から、県立坂本龍馬記念館が「龍馬の筆に間違いない」と判断。所有者の南道(おさむ)さんは同館に寄託する考えで、来月17日から始まる同館の企画展で公開される予定。